サロン日誌(12.05.10)


鳴神月

…には少し早いと思うのですが。
サロンが始まる13時を少し過ぎた辺りから、窓の外は徐々に荒れ始め、最終的には近場に雷様ご光臨。

そんな生憎のお天気でしたが、新しくいらした方を含め(ブログをご覧頂いて、嬉しいです。)、今日も佐伯サロンは大盛況です。めんそーれ。

【先生の講義】

今回も引き続き、前回の講義で取り上げられた羽生先生(1987年当時四段)の将棋から。

「皆さんの参考になるところがあるので、今回も。」と佐伯先生。
そんなポイント局面はこちら。(羽生先生が先手)

【1図は△1二香まで】


まだまだ指し始めたばかりの局面に見えますが、この後手の△1二香が分岐点の一つなようです。

△1二香は、いつか先手の角が1一に成った時の為に、あらかじめ当たりから逸らせておこうという意味合いみたいです。四間飛車の本とかにも、普通に手順中に入ってる事ありますよねぇ…?

ただ、香が動かすタイミングによって、ちょっとした弊害が発生する場合もあると先生。

実戦の指し手はこの後、▲1六歩△4三銀▲4六歩△6四歩▲4五歩△6三金…と進んでいったのですが。

例えば、この△1二香に代えて、△6四歩と指していた場合。
本譜の▲1六歩△4三銀▲4六歩には、△2二飛(2図)と回る手もあったとのこと。

【2図は△2二飛まで】


以下、▲4五歩△同歩▲3三角成△同桂▲3一角△2一飛▲6四角成△4四角▲6六銀△2四歩▲同歩△2六歩▲3七馬△2四飛(3図)が進行の一例です。

【3図は△2四飛まで】


しかし、本譜の通り1一にスペースがある状態で△2二飛(4図)とすると…

【4図は△2二飛まで】


▲4五歩△同歩▲3三角成△同桂の角交換後に、バチッと!▲1一角(5図)が待っています。

【5図は▲1一角まで】


佐伯先生:「空いたスペースが負担になっています。△1二香のタイミングが問題。少し早すぎたのでは。」

何気ない指し手に見えても、それによって選択肢が狭められたり、場合によっては、いつの間にか不利になっている事もあるんですね…。将棋って大変です。

フリー対局



※途中、近場に落っこちた雷様の影響か、名店ビルの警報装置が鳴り響きました。…が、皆目の前の対局に必死で、誰も動揺せず。
自玉を守れるなら、へそなんかくれてやる勢い。(誤作動か何かだったようです。)



夜間部



夜間部が始まる頃には、すっかり雨も止んでいました
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【速報】サロン研修会(12.06.04-05)


遠藤先生が1泊2日の研修会を企画して下さいました。

日にちは、6月4日(月)〜5日(火)の1泊2日。

場所は、湯河原の娯楽民宿「
杉の宿」。
3年前にも行きましたね。将棋ファンなら一度は訪れたい聖地?です。

詳しい案内と参加の最終確認を、次回のサロン(5月24日)のときに行います。

将棋と温泉でリフレッシュ。皆さま、奮ってご参加を。

※杉の宿のウェブサイトは
こちら
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対局ファイル #008(12.05.10)


▲YOさん
△YAさん
2012/05/10

YOさんは振り飛車党。熱心な研究家という印象があります。
YAさんは居飛車党。長考派で腰の重い棋風です。

後手の一手損角換わりになりました。
相腰掛銀から着々と駒組みが続きます。

先手は飛車を4筋に転換。そして▲28角(1図)!
こ、これは。YOさんの秘手ですか。

(1図は▲28角まで)


確か今期の名人戦でも見掛けたような。
似ているような、少し違うような。

この角が働くかどうかが勝敗を分けそう。
事実ここからの十数手が本局のハイライトだったようです。

1図からの指し手
△81飛▲45歩△同歩(2図)▲同銀△44歩▲54銀
△同歩▲45歩△27銀▲44歩△同銀(3図)▲45歩
△55銀▲17角△36銀成▲38銀△35歩(4図)

▲28角を見たYAさんが長考に沈みました。
そして△81飛。落ち着いた好手と思いました。

(2図は△45同歩まで)


2図から(1)▲45同銀では(2)▲35歩を入れたかった。
3筋の歩が切れていれば攻め筋が広がります。

あるいは(3)▲45同桂もありましたか。
△44銀▲64角の飛び出しは気持ちよさそう。

実戦は▲45同銀に△44歩。大人の手でしたね。
先手は4筋をこじ開けに。後手は△27銀ともたれました。

(3図は△44同銀まで)


3図から(1)▲45歩は重かった。
ここは桂馬が跳ねたい場所でした。

代えて(2)▲17角には△35歩くらいでしょうか。
これなら先手なんとかなるのでは。(アバウトですみません)

△36銀成に▲38銀は涙が出そう。
▲45でぶつけた銀がバックしてきた勘定ですからね。

(4図は△35歩まで)


4図では後手の押さえ込みが決まったようです。
この後、先手は勝負手を繰り出しましたが、後手の手堅い受けに屈しました。

なお、記者は定跡形に疎く、記事の内容には大きな不安が残ります。
佐伯先生の詳説が待たれます。
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宿題(12.05.10)


●必至(3手必至


●詰将棋(7手詰)
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名人戦によせて(1)


春になり、年度も新たになり名人戦が開幕しました。今年は、将棋の総本山である日本将棋連盟では、名人400年として、イベントを開催しています。

へ〜名人て400年前からいたんだ、そうすると将棋の歴史も400年もあるのかと納得しないでくださいね。将棋の駒は、平安時代以前からあったとする報告もあります。

今、有力と言われているのは、現在のインドで現在の将棋の原型が発明され、西に行きチェスになり、東に行くにしたがってその土地土地にあった将棋が発明され、朝鮮半島から日本に伝えられたとする説が有力です。くわしくは、大内延介九段著「将棋の来た道」等をご覧ください。

現在では指されなくなった将棋で大将棋、中将棋があるそうですが、見たことはありませんが、木村義雄十四世名人の御子息でもある、木村九段が館長を務めていた将棋博物館等でご覧になってください。

平安時代から時代が下り、戦国時代になると織田信長、豊臣秀吉等の戦国大名が将棋や囲碁の達人を参謀として召抱えるようになりました。そうです、将棋・囲碁ともに戦を行う上での戦術・戦略等を考える為のものであったのです。

やがて、徳川家康により江戸幕府がひらかれ、将棋は囲碁と共に若年寄の指揮下にある江戸三奉行の筆頭である「寺社奉行」(日本中の神社・寺を支配する役職)で、一万石以上の大名が務める習わしで、町奉行であった大岡越前守忠相が晩年石高を加算され、岡崎城主になりました。

ちなみに「勘定奉行」は、幕府の財政を管理する現在の財務大臣と金融庁長官を併せた役職だけでなく、現在の関東地方より狭い範囲である関八州を支配する役目も兼ねていた、また「町奉行」は、南北二奉行により一月交代(月番と言います)で江戸市中(現在の山手線よりもやや狭い範囲を支配し、現在の東京都知事・警視総監・最高裁判所長官を兼ねていました)のもとにおかれ、幕府から扶持を与えられたのが始まりでした。

この幕府からの扶持を与えられ、最高位を名人と定められた時から400年が今年です。

次回は、名人戦を始めとした将棋のタイトル戦が、なぜマスコミ中心なのかについてお話しましょう。(チビワン)
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