【新春インタビュー】佐伯昌優九段 その3

2011.01.03 Monday
 

【新春インタビュー】佐伯昌優九段
その3 たくさんの人に助けられた。良い弟子にも出会えました


(その1は
こちら
(その2は
こちら

2010-12-18 14;37;23.JPG
(愛犬ハナと。1984年)

2010-12-18 14;33;36.JPG
(生家に飾る書と格闘中。1990年)

▲趣味や生きがいについてお聞きします。

「趣味はドライブと旅行です。最近は減りましたが。普及でも全国あちこちに行きました。北海道は『巡回教室』として各支部を回りました。旭川では作家の三浦綾子さん(代表作に『氷点』)ご夫妻と指導対局。対局の様子を雑誌に載せていただきました」

▲先日、奥様から
遭難のエピソードを伺いましたが。

「ドライブ旅行の良き相棒が関屋さん(関屋喜代作七段)でした。関屋さんはカメラが趣味で高山植物を撮る。プロはだしで本も出しています。私は山歩きが好き。ウマが合ったんです。運転はもっぱら私。一日500キロはザラでした」

▲その他には。

「子供に将棋を教えることが生きがいですね。子供自体が好きなんです。孫と指すこともあります。王様一つから始めて、今は金二枚(笑)」

2010-12-18 14;35;39.JPG
(こども将棋教室の生徒と)

▲私たち熟年もよろしくご指導下さい(笑)。これまでの棋士人生を振り返られてお感じになることは。

「子供の頃から恵まれていました。たくさんの人に助けられた。良い弟子にも出会えました」

2010-12-18 14;34;45.JPG
(還暦のお祝い。左は斎田女流。1996年)

▲そうした人脈に辿り着けるのも、先生の人徳のなせる業ではないでしょうか。では最後に伺います。もう一度生まれ変わったら、また棋士になりますか。

「それはねえ……ならない(笑)。探検家になりたいです。山登りが好きなんですよ。丹沢は数知れず。富士山は二回登りました。頂上で将棋を指したことを大内くん(大内延介九段)が雑誌に書いていました」

▲最後まで楽しいお話が聞けました。長時間ありがとうございました。

101214_1241~0001.jpg

101214_1242~0001.jpg
(昔のアルバムをご用意下さいました)

101214_1430~0002.jpg

101214_1430~0001.jpg
「おかげで最近色々なことを思い出します」(
佐伯五月さん・写真左)

【感想戦】
101214_1540~010001.jpg

和室でお宝を発見!!
「福寿」の色紙の五重奏。歴代永世名人の書です。

右から中原誠十六世名人、木村義雄十四世名人、関根金次郎十三世名人、大山康晴十五世名人、谷川浩司十七世名人。

知人から関根名人の書(写真中央)を譲り受け、木村名人には今の家の引っ越し祝いに書いていただいたそうです。その後残りの三人にお願いして、五つ揃えたのだとか。

先生、ご長寿間違いなしですね!!
 

【新春インタビュー】佐伯昌優九段 その2

2011.01.02 Sunday
 

【新春インタビュー】佐伯昌優九段
その2 将棋は我慢、忍耐。「プロは苦しみ、アマは楽しむ」


(その1は
こちら

▲それでは、現役の頃の将棋のことを伺います。影響を受けた棋士は。

「木村義雄十四世名人です。木村名人は1952年に引退されました。私が奨励会に入会した年です。翌年、坂口先生(坂口允彦九段)が連盟の会長になり、弟子の私は塾生になりました。(塾生に空きが出た)。木村名人のお宅(茅ヶ崎市)には、給料袋や免状(署名をもらうため)を届けに行きました。一日出掛けられることがうれしいんです。おまけに奥様が食べ物や小遣いを下さる。あちらは大したことないけれど、こちらは大したことある(笑)。名人のお話も伺えました。将棋は教わらなかったけれど、勝負の厳しさに触れた気がします。『千日手は指さない』と仰っていた。確か一局もなかったはずです。後に茅ヶ崎に住んだのも、名人を慕う思いがありました」

▲他には。

「升田幸三実力制第四代名人にはよく怒られたけれど、可愛がってもらいました。大山先生(大山康晴十五世名人)は『佐伯くん、お茶くれる?』だけど、升田先生は『おい佐伯、お茶持ってこい!』ですから。仲間らとお宅に伺うと、『酒でも飲んでいけ』とか、根は優しい先生でした。塾生はあれこれ雑用を頼まれて大変だった反面、将棋を教わるなど特権もあった。恵まれていました」

▲師匠(坂口允彦九段)はどんな方だったのでしょう。

「大正モダンのハイカラな人。そして努力の人でした。終戦直後、仕事がないとき、『米兵にチェスを教えよう』と思い立ち、英語とチェスを辞書と首っ引きで一から勉強したそうです。一日24時間のうち、4時間を寝食に、残りの20時間を勉強に当てたとか。アメリカ人から、『どこのアメリカの大学を出たんですか』と聞かれたそうです。体力、気力とも桁外れでした」

▲……すごい……。「くろがね」の異名の由来ですね。

「酒場で飲み始めるともう止まりません。店のおかみが『閉店です』と言うと、先生は『いいから。お前が帰れ』と言って本当に帰しちゃう(笑)。翌夕、おかみが店に来ると、まだ飲んでる(笑)。正月にお宅に伺うと、一週間くらい寝ずに研究です。たまらず『先生、お先に寝ます』と言って、寝て起きると、まだやっている。とにかく徹底していました」

▲昔の人は鍛えが違うとは思っていましたが、これほどとは。それでは、一番の思い出の対局をお聞かせ下さい。

「四段昇段を決めた一局。プロなら皆そうではないかな。1959年9月、星田啓三六段戦です。当時は年に二人しか四段に上がれなかった。年二回、東西の一位同士が戦い(東西決戦)、勝った方が昇段です。星田六段は有名な阪田三吉名人王将のお弟子さん。このとき、C2クラスから降級していました。対局は大阪。現地は皆星田さんを応援していて、やりにくかった」

▲星田啓三六段
△佐伯昌優三段
奨励会 東西決戦
1959/09/12

19580912星田佐伯128手.gif
(四段昇段の図。投了図は△1五角まで)

▲では、生涯の一手は。

「中原誠名人との対局。1977年3月の棋聖戦本戦です。1図は歩を成り捨てたところ。ここから▲6四角(2図)の只捨てが三手一組の好手でした。この後寄せ損ねて負けてしまったけれど」

▲佐伯昌優七段
△中原誠名人
棋聖戦 本戦
1977/03/22

19770322佐伯中原66手.gif
(1図は△6三同銀まで)

19770322佐伯中原67手.gif
(生涯の一手。2図は▲6四角まで)

▲会心の手順ですね。名人も意表を突かれましたか。△同銀に32分使っています。それでは、先生が考える「将棋観」をお聞かせ下さい。勝負としての将棋と、娯楽としての将棋があると思いますが。

「前者で言えば、『我慢』『忍耐』です。ゲームとしては、どこでも気軽に楽しむことができる。子供も大人も。男も女も。『プロは苦しみ、アマは楽しむ』です」

(その3に続く)
この後、プライベートについてお聞きしました。次回(最終回)もお楽しみに。
 

【新春インタビュー】佐伯昌優九段 その1

2011.01.01 Saturday
 

【新春インタビュー】佐伯昌優九段
その1 サロンでは勝敗にこだわらず、のびのびと指してほしいですね


新年おめでとうございます。今年も楽しいサロンのひとときを過ごしましょう。
皆さまのご健勝とサロンの発展をお祈りいたします。

昨年の暮れに佐伯先生のご自宅に伺い、お話をお聞きしました。
新春のお年玉として、全3回に分けてお届けします。
初めに、サロンやこれまでの普及について振り返っていただきました。(インタビュー:ピリ辛流、高野豆腐)

101214_1305~0001.jpg
佐伯昌優(さえき・よしまさ)九段
1936年、鳥取県赤碕町(現・琴浦町)出身。
坂口允彦九段門下。1952年、奨励会入会。1959年、四段昇段。
順位戦B級1組通算5期。2002年、引退。2007年、九段。
弟子に、中村修九段、北浜健介七段、斎田晴子女流四段、高橋和女流三段、中村真梨花女流二段がいる。

▲佐伯九段将棋サロンも、この春7年目を迎えます。これまでを振り返られていかがでしょうか。

「おかげさまで7年が早く感じられます。サロンのモットーは『楽しみながら、強くなる』。皆さん楽しんで指していただいていると思います。上達すると自ずと楽しくなり、面白さも増してきます。サロンではあまり勝敗にこだわらず、のびのびと指してほしいですね」

▲少しは上達しているのでしょうか。「実感が湧かない」という声もよく聞きますが。

「皆さん間違いなく強くなっています。ただ自分一人だけではないのでね(笑)。基本をもっともっと学んでいただきたい。あれほど『香は下段から……』と言っても、実戦になると、角の頭にペタンと打っちゃう(笑)。今年は『歩』から『玉』まで、基本の手筋を解説したいと思います。繰り返しになりますが。特に歩の使い方はたくさん知ってもらいたい」

▲他にも上達のコツなどありましたら。

「新聞の将棋欄を見る。指了図からの次の一手を考えて、翌朝答えを見る。あっ当たったとか、私の方が強いとか。(正着ばかりとは限らないから)。毎日の積み重ねは大きいです。大会に出たときは、1カ所でも覚えておいて、『反省将棋』(盤に再現して振り返る)をしてほしいですね」

▲先生は長年道場を営まれ、普及に努めてこられました。普及への思いや思い出など、お聞かせ願えますか。

「1972年7月に藤沢に道場(『湘南将棋道場』)を開きました。一般の人が将棋を指す機会と場所を提供したかった。道場内で女性教室も開いたのも、一人でも多くの女性に強く(有段者に)なってほしかったからです。子供教室は辻堂や藤沢で長く続けました。今も『だんだん将棋教室』(藤沢市・児島毅代表)で土日に指導しています」

2010-12-18 14;32;35.JPG
(道場の常連さんと。1988年)

▲将棋イベントもたくさん手掛けられています。

「茅ヶ崎では『大岡越前祭』(茅ヶ崎市の春のイベント)で将棋大会を20年以上やりました。添田高明さん(故人。実力アマ五段の県議。後に茅ヶ崎市長)の協力に助けられました。『アマ名人戦』の神奈川県予選は、昔は東西に分かれて代表を決めていて、西側(藤沢・茅ヶ崎・平塚以西)を受け持っていました。『横浜名人戦』は、師匠(坂口允彦九段)から受け継ぎ、今年で53年になります」

▲どれも長く続いたものばかりです。デパートの将棋まつりは。

「藤沢のさいか屋ではずいぶん長くやりました。三越の知人が(経営支援で)さいか屋に異動してきていて、相談を受けたんです。『人を集めるなら……』ということで始めたんですね。若き日の羽生少年(羽生善治名人)も野球帽を被って来ていました。後年、羽生さんに当時のことを聞いたら、『よく覚えています』と」

▲今も続いているのは「京急将棋まつり」ですね。

「『横浜名人戦』を続けるに当たって、『ただ将棋を指すだけでは……』ということで、いくつかのデパートに掛け合い、今の形になりました。今年でもう13年目です。『横浜名人戦』は乗本真澄さんの力添えが大きかった。乗本さんは2006年に大山康晴賞を受賞されています。私の『得意戦法』は……時の権力者(知事や市長、会頭など)に談判に行くんですね。協力を取りつけ、一言挨拶をお願いする。すると新聞が記事で書いてくれる。書かれた人も喜ぶ(笑)」

▲「佐伯流」が長続きの秘訣でしたか(笑)。近年、将棋まつりも数が減ってきました。そんな中、「京急」はどんどん人が増えている。地元民としてはうれしい限りです。

(その2に続く)
次回は、現役時代の将棋の話を伺います。お楽しみに。
 

【インタビュー】佐伯五月さん その3

2010.10.16 Saturday
 

【インタビュー】佐伯五月さん
その3 スポーツは昔からするのも観るのも好きでした


(その1は
こちら
(その2は
こちら

▲それではご自身のことを伺います。ご家族は。

「息子が二人。長男は会社員で、私たちのすぐ隣に住んでいます。次男は京都で考古学の研究をしています」

▲ご趣味は。

「スポーツ。昔からするのも観るのも好きでした。学生の頃はソフトボールをしていました。息子や孫も皆野球をしていました。孫の女の子も野球部。国体の選手にも選ばれました」

▲ほー、スポーツ一家ですね。奥様の血筋でしょうか(笑)。

「昔は巨人ファンで、長嶋さんと与那嶺さんが好きでした。主人はアンチ巨人。でもテレビのチャンネル権は私が握っていました(笑)。今はサッカーやバレーボールをよく観ます」

▲他には。

「旅行ですね。40年来のお友達5、6人と年に2回、春と秋に出掛けています。これがすごく楽しい。夫と行くより(笑)」

▲どこのお宅も同じでしょう(笑)。

「あと、毎年高橋真梨子のコンサートに必ず行きます。それから編物。昔から手を使うことが好きで、子供や主人の服をたくさん作りました。パッチワークも長く続けています」

▲私の母もそうでした。昔の人は皆自分で作ったんですよね。

「最近特に思うのは、やはり健康のこと。主人は数年前に肺を患ったので。『自分で管理してよ』と口を酸っぱくして言っています」

▲健康があってこそ、の他のことですからね。インタビューも最後になりますが。

「この話のおかげで、昔のことをずいぶん思い出しました。主人とも『もうすぐ結婚50年だね』と。この前も『世界一周・○○万円』という看板を見つけて、『これどう?』なんて。返事はナシ(笑)」

▲きっかけのお役に立ててうれしく思います。いつまでも仲良くお元気でお過ごし下さい。長時間ありがとうございました。


「尾瀬には毎年訪れていました」
 

【インタビュー】佐伯五月さん その2

2010.10.15 Friday
 

【インタビュー】佐伯五月さん
その2 登山から帰らなかったときは青くなりました


(その1は
こちら

▲それでは、佐伯先生が現役の頃のお話を伺います。いわゆる「勝負師の妻」としてのご苦労などは。

「日頃から『普通でいいよ』と言われていました。対局の前日にご馳走を作るようなこともなかった(笑)。主人は対局通知を部屋に置き、対局後に結果を書き込んでいました。それを見て、あっ、勝ったんだな、とか知るような感じで」


(対局通知書。下に○×の書き込みが)

▲仕事を家庭に持ち込まないタイプだったのですね。あるいは努めてそうされていたのかもしれませんね。

「対局の日は大抵翌朝に帰ってくるのですが、もちろんそのときの雰囲気で勝敗も分かりました。勝った日は子供に遊びに行こうかと話し掛けたり、負けた日はさすがに疲れた様子で『部屋で少し休む』と言ったり。負けたから家で荒れるようなことはありませんでした」

▲よく出来たご主人です(笑)。きっとそれも奥様の支えがあってこそなのでしょうね。

「主人から怒られた記憶はほとんどありません。ただ、現役の最後の方は(思うように勝てなくなって)……お酒が進みましたかね。『もう辞めたら』なんて話もしましたが、そのときはそうせず、それから3、4年後に引退しました。本人も納得して決断したようです」

▲佐伯一門と言えば、素晴らしいお弟子さんたちで有名ですが。

「親御さんに連れられて道場を訪ねてきた人がほとんどです。ただ、主人は弟子を取ることに積極的ではなかったようです。プロになることは簡単ではないし、その人の大切な青春の時期を預かる訳ですから……。弟子たちには将棋はよく教えていたようです。自分は師匠から教わらなかったから、と聞いたことがあります」

▲一門で集まったりすることは。

「現役の頃は、道場の常連さんたちも交えて、定期的に懇親を深めていました。引退したときには、盛大にお祝いしてもらい、本人もとても喜んでいました。斎田さん(斎田晴子女流四段)が女流名人になったとき、お祝いは何がいいか聞いたら、ハワイに行きたいと言うので、一門でハワイに行きました。皆自腹でしたけど(笑)。私は初めての海外旅行だったので、とても楽しい思い出になりました」

▲それも一つの師匠孝行ですね。では、今だから明かせるエピソードなどがありましたら。

「七段が長く続いていたとき、主人の父親から『早く八段になるよう、息子に伝えてほしい』と、毎月手紙が送られてきました。1987年に八段に昇段し、義父はその1カ月後に他界しました」

▲……。不思議な因果ですね。お義父様も安心して旅立たれたことでしょう。


(八段昇段のお祝い。中央は弟子の中村修王将(当時))

「それと」

▲はい、他にも。

「主人は旅行が好きで登山などによく出掛けていたのですが、あるとき、予定の1週間が過ぎても帰らず、お稽古先から『先生が見えないのですが』と連絡が入ったときは青くなりました。仕事をすっぽかすような人ではないので。その後に対局も入っていたんです。結局10日経って、げっそりとやつれて帰ってきました。木曽の駒ヶ岳で遭難していたそうです。対局には間に合ったと。もちろん負け(笑)」

▲それは大事でしたね。捜索願は出さなかったのですか。

「そういうことが思い浮かばなくて。後で回りから『ずいぶん薄情ね』と冷やかされました(笑)」

(その3に続く)
次回(最終回)は、趣味やご家族について伺います。お楽しみに。
 

カレンダー

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< May 2018 >>

サロンの概要

受講者随時募集

女性・初級者歓迎
見学もお気軽に


師範
佐伯昌優(さえき・よしまさ)九段

会場
フジサワ名店ビル 7階Bホール
JR・小田急藤沢駅南口2分

日時
第2・第4木曜日 13時〜17時

料金
入会金 2,000円
月謝 3,000円

対象
一般(年齢・性別・棋力は問いません。実力に応じて指導します)

内容
大盤で解説/指導対局もいたします/自由対局

備考
現在、30〜80歳代の男女半々の20数名の方々が、初心者〜有段者まで、棋力に合った楽しみ方をしています。(サロンの様子はこちら

お問い合わせ
E-mail s9ss@hotmail.co.jp
TEL 0466-82-9317

カテゴリ

表示されている記事

ブログ内検索

月別アーカイブ

リンク

管理人おすすめサイト

新着コメント【承認制】

電脳班プロフィール

その他

モバイル

qrcode

広告