順位戦2016昇級者予想(C級1組)

2016.06.01 Wednesday
 

(C級2組はこちら

C級1組

(対戦表はこちら



チビワン

◎千田 ○永瀬

◎千田五段は段位と実力が合っていない実力者。三年後はA級か。○永瀬六段は羽生三冠に三戦三勝の実力者。棋聖戦挑戦と絶好調、肩書を変えることが出来るか。いずれにしてもこのクラスには不釣り合いな両者。昇級できなければおかしい。

千成ひょうたん

◎千田 ○青嶋 △阿部健

◎千田五段−−注目している大器。勢い一番

OHSHOU

◎田中寅 ○青嶋 △横山

◎田中寅九段−−無理矢理矢倉を観たい
○青嶋五段−−勢いのある棋士で、一気にA級まで駆け上がってほしい
△横山六段−−B級の実力はあると思う

豚児

◎永瀬 ○千田 △青嶋、船江

◎永瀬六段はタイトル挑戦が光ります。タイトルを取るかも。○千田五段はNHK杯準優勝の余勢をかって。

玉子王子

◎阿部健 ○佐々木勇 △千田

◎阿部健七段−−毎年昇級候補に挙がってよい実力者
○佐々木勇五段−−前期で順位を上げて好位置につけている
△千田五段−−電王戦での切れ味鋭い解説

ノラネコ

◎佐々木勇 ○永瀬 △青嶋

順位が良く、昇級候補の若手とも当たっていない◎佐々木勇五段を本命にしました。順位が下なものの、○永瀬六段と△青嶋五段は実力が抜けていると思うので、直接対決で勝った方が上がるのではないかと思います。

ピリ辛流

◎青嶋 ○佐々木勇 △千田、永瀬

◎青嶋五段に注目している。順位は悪く当たりもきついが、なに、一つ一つ勝っていけばいい。チェスはほどほどに(笑)。
 

順位戦2016昇級者予想(C級2組)

2016.06.01 Wednesday
 

佐藤天彦新名人誕生! 2年前、彼がB1に上がったときのことが、ついこの前のように思えます・・・。そして今日は順位戦の開幕日。次なる戦いの始まりです。恒例となった昇級者予想を今年も募りました。

(2014年の予想と結果の概要はこちら
(2015年の予想と結果の概要はこちら

私は今年も勝って3連覇・殿堂入りする所存です(笑)。これを阻止すべく?サロンの棋界通6人が立ち上がりました。C2から順次掲載します。(取りまとめ:ピリ辛流)

C級2組

(対戦表はこちら



チビワン

◎高見 ○阿部光 △佐藤紳

◎高見五段、○阿部光六段、両者ともこのクラスには不似合いな実力者。前半の取りこぼしがなければ昇級確実。三人目は期待を込めて△佐藤紳七段です。パフォーマンスだけではなく最近では王位リーグ入りする等の活躍もあり期待されます。

千成ひょうたん

◎都成 ○八代 △西川和

◎都成四段−−順位は下位も、都成流なる新戦法開発の努力を評価

OHSHOU

◎藤森 ○増田康 △及川

◎藤森四段−−まだ奨励会のころ、新橋の名人戦解説会の会場で会った時からのファンなので
○増田康四段−−若さで新風を起こしてほしい
△及川六段−−今、及川さんの本を読んでる最中なので

豚児

◎増田康 ○三枚堂、八代 △及川

◎増田康四段の実力は万人の認めるところ。○三枚堂四段は切れのいい将棋を指します。そろそろ昇級でしょう。○八代五段は取りこぼしさえなければ大丈夫だと思います。

玉子王子

◎八代 ○三枚堂 △増田康

◎八代五段−−前期で順位を上げて好位置につけている
○三枚堂四段−−前々期初参加から好成績
△増田康四段−−前期初参加で好成績

ノラネコ

◎石井 ○増田康 △八代

順位が上の若手三人としました。◎石井四段は順位戦向きの棋風なので最有力だと思います。

ピリ辛流

◎西尾 ○八代 △増田康、三枚堂、阿部光

◎西尾六段はコンピュータ将棋を研究に上手く取り入れている印象。そろそろ結果を出したい。ギターはほどほどに(笑)。
 

【アーカイブ】相撲はかなり本気でした その3

2016.04.03 Sunday
 

(その1はこちら
(その2はこちら

湘南へ

棋士になったが、収入は非常に少ない。出場できる棋戦は朝日、毎日、読売だけ。C級棋士は相手にされなかった。花村元司先生(九段)が、「下級者は黙っていろ」と言ったのは有名な話です。そのくらい上下の差があった。

「ただでも指させてほしい」

「三千円や五千円でどうだ」

理事会とC級棋士との間で、そんなやりとりも行われた。とにかく生活が苦しかった。

話は前後するが、塾生時代によく木村十四世名人のお宅へ行った。神奈川県の茅ヶ崎市です。何しに行くかと言うと、免状や月給袋を持って行くんです。そうすると奥さまの鶴子さんが食べるものや小遣いを出してくれる。千円くらいくれた。向こうは大したことないが、こっちは大したことある。ありがたかったですね。

昭和三十五年に結婚。東京の練馬に住んだ。近所に北村昌男さんがいた。その練馬から茅ヶ崎に引っ越した。昭和三十九年、東京オリンピックの年です。湘南は気候も良く、子どもを育てるのに適していると思ったからです。木村十四世名人を慕う気持ちも強かった。

道場を始めたのもこのころ。私は酒が好きだが、ウイスキーの角瓶一本買えないこともあった。これじゃあ困るということで将棋道場を開いた。六段の頃です。

木村十四世名人と言えば、三男の木村義徳さん(九段)と私の息子がお付き合いをしています。次男の英樹(えいじゅ)は三十九歳ですが、京都の大学を出て考古学をやっている。この間も、「この露玉(つゆだま)が珍しいんだ」と話していた。何でも、日本で初めて発見されたものとか。木村さんは京都の嵐山に住んでいる。うちの息子を呼んで考古学の話をしているらしい。いろいろ縁があります。

息子が考古学に興味を持ったのは、小さい時、私が日本中連れて歩いたからかもしれません。将棋は教えなかった。

私はドライブが趣味で、車で全国を回った。よく一緒に行ったのは関屋喜代作七段です。関屋さんはカメラが好きで私はハイキングが好き。うまが合った。ある時、二人で北海道へ一週間ほど旅行をした。車で一日五百キロ、六千数百キロ走った。楽しかったですね。

危険なこともあった。沢下りをして遭難した。関屋さんが脱水状態になった。「我慢しろ」と言っても出来ない。無茶苦茶に水を飲む。私が下山して遭難したことを告げると村の人が、「三日前に兄貴が熊に食べられてねえ」と言った。これには驚きました。(笑)

おわりに

弟子を育てるのは難しいものだが、佐伯八段はこれまでに五人のプロ棋士を世に送り出している。中村修八段、北浜健介七段、斎田晴子女流四段、高橋和女流二段、中村真梨花女流二級だ。一門の特徴は、人気者あり実力者ありというところ。粒がそろっている。かつて中村八段が王将のタイトルを獲得した時には、おじいさん師匠の故・坂口九段が大層喜んだものだった。

佐伯八段の指導法はユニークで、男性には居飛車、女性には振り飛車を教えている。どうやら、独自の理論があるらしい。教えじょうずだ。

木屋太二


(インタビュー=平成15年11月8日、東京・渋谷区 将棋会館にて)


▲一門による還暦お祝いの会(平成2年7月)。前列左から斎田女流四段、中村八段、佐伯夫妻、後列左から高橋女流二段、中村女流2級、二人とんで北浜七段

=思い出の棋譜=

奨励会・東西決戦
昭和34年9月12日 於・大阪「関西本部」
(持ち時間各3時間)
▲六段 星田啓三
△三段 佐伯昌優
▲7六歩  △8四歩  ▲7八飛  △3四歩  ▲6六歩  △8五歩
▲7七角  △6二銀  ▲6八銀  △4二玉  ▲4八玉  △3二玉
▲3八玉  △5二金右 ▲2八玉  △7四歩  ▲3八銀  △6四歩
▲5八金左 △7三桂  ▲8八飛  △5四歩  ▲5六歩  △1四歩
▲5七銀  △5三銀  ▲6八飛  △9四歩  ▲9六歩  △6三金
▲4六歩  △3五歩  ▲6七飛  △4四銀  ▲4七金  △4二銀
▲3六歩  △同 歩  ▲同 金  △3五歩  ▲2五金  △5五歩
▲同 歩  △3三銀上 ▲5六銀  △5二飛  ▲6五歩  △同 桂
▲同 銀  △同 歩  ▲同 飛  △6二歩  ▲8五飛  △2四歩
▲3四歩  △2五歩  ▲3三歩成 △同 角  ▲6四歩  △同 金
▲3四銀  △2三銀  ▲3三銀成 △同 銀  ▲8一飛成 △3六歩
▲5四歩  △5五歩  ▲5三歩成 △同 飛  ▲4五桂  △5四飛
▲6五歩  △6三金  ▲8六角  △5一銀  ▲6四歩  △同 金
▲5三角  △7五歩  ▲9一竜  △4四歩  ▲3三桂成 △同 桂
▲7五角  △5三飛  ▲6四角  △6三飛  ▲3一金  △4三玉
▲4一金  △6四飛  ▲5一竜  △3五桂(第1図)▲4八銀  △2六歩
▲4二竜  △3四玉  ▲2五銀  △同 玉  ▲1六金  △2四玉
▲2六金  △3四金  ▲3一金  △5四角  ▲3七歩  △2五銀
▲3五金  △同 金  ▲4七桂  △3四金  ▲3五香  △2六歩
▲3四香  △2七歩成 ▲同 銀  △3七歩成 ▲同 銀  △6八飛成
▲5八歩  △2七角成 ▲同 玉  △2六歩  ▲同 銀  △同 銀
▲同 玉  △1五角(投了図)
まで、128手で佐伯三段の勝ち。
(消費時間=▲2時間48分、△2時間56分)

星田六段は三間飛車。私の構想が疑問で苦戦の将棋になった。

△3五桂(第1図)は終盤の勝負手。△3七角を狙っている。しかし、ここでは届かない形勢。

星田六段は▲4八銀と受けたが、大事を取り過ぎた。▲4二竜△3四玉▲4三銀△2四玉▲3四歩なら後手の負け筋だった。逆転勝ちの昇段譜。(佐伯昌優)

(第1図は△3五桂まで)


(投了図は△1五角まで)
 

【アーカイブ】相撲はかなり本気でした その2

2016.04.02 Saturday
 

(その1はこちら

塾生の頃

内弟子に入って一年が過ぎた。その頃、坂口先生が将棋連盟の会長になった。昭和二十八年のことです。連盟に塾生の空きができた。北村昌男さん(九段)が四段になり卒業したのです。

「佐伯、塾生になれ」と、坂口先生に言われました。先生も会長となり何かと忙しい。それで横浜から東京へ引っ越した。中野の将棋連盟、ここは元、相撲の照国道場だったところです。

話は前後するが、奨励会には五級で入った。試験官は清水孝晏二級、河口俊彦五級、剱持松二四級(八段)で●○●の一勝二敗。一級で受けたのだが幹事の京須先生が厳しく、五級で入会することになった。

その頃のことでは北山和夫さんが一番思い出がある。北山さんは京須門下で当時三級だった。

将棋連盟に行くのに手ぶらじゃ困る。それで近くの八百屋に寄った。ついでに場所を尋ねると、「うちの息子も奨励会に入っている」と言う。それが北山さんでした。仲も良かった。

塾生になった時は四級。三段まで六年いた。指した将棋は全部ノートに書いた。題して“奨励会棋譜帳”。昭和二十七年六月十九日からつけた。これは、いまも手元にあります。

二、三か月後、長谷部久雄さん(九段)が塾生となり、三畳の部屋で共同生活が始まった。長谷部さんは一級で年齢は私より三つ上。三、四年は一緒に暮らしました。

その長谷部さんは四段になって塾生をやめた。代わりに入ってきたのが山口英夫さん(七段)です。彼は広島の出身で、松浦卓造八段の紹介で原田泰夫八段(九段)の門下になった。山口さんとは三年間一緒でした。

塾生時代は長かったので、いろいろ話があります。床を敷いたりあげたりは当然。「お茶持ってこい」は年中です。すごい先生になると夜中に、「酒買ってこい」と言う。

「先生、いま何時だと思ってるんですか」

「いいから起こして買ってこい」

こんなふうに、よく喧嘩をした。コンビニなんかない時代です。

升田先生には、ずいぶん怒られた。「お前は誰の弟子だ。この馬鹿野郎」なんてね。

でも、喧嘩をする人ほど仲が良くなる。観戦記者の天狗太郎さん(山本亨介)にも、「佐伯、生意気だぞ」ってよく叱られたけど、かわいがってもらった。私の生まれた鳥取県の町は勝負事の好きなところで、横綱になった相撲の琴桜や、江川事件で巨人から阪神に移ったプロ野球の小林繁が出た。そのせいか、強気だけは一人前でした(笑)。

当時の連盟には、留守居役として奥野基芳六段(八段)が住み込んでいた。奥野先生も、いろんな棋士がいて、大変だったと思います。

私か塾生だった頃は、三百六十五日棋士が麻雀をやっていた。当時は対局の持ち時間が長く、八時間や九時間はざらだった。それで、どうしても徹夜になる。ところが宿泊用の布団は二、三組しかない。早い者勝ちです。先輩も後輩も関係ありません。

寝たくても床がない。起きているよりしょうがない。酒を飲むか麻雀を打つか碁を打つか、大体そんなところです。大山先生、坂口先生、大和久彪先生(八段)……。ほとんどの人は麻雀をやっていた。升田先生は碁、松田先生は酒でした。

ある時、部屋のなかが煙草の煙でもうもうとしている。気をきかして窓を開けて空気を入れ替えたら、「寒いじゃないか、閉めろ」と怒られた。暮れも元日もない。朝も昼もないんです。そういうことがあったから、私は麻雀も囲碁も覚えなかった。反発したんです。大山先生は麻雀ができない者には記録を取らせないという主義でした。記録係もメンバーのひとりに数えていた。だから麻雀をやらない私は、大山先生の記録を取っていません。


▲内弟子に入って1年後、16歳(昭和28年)のとき塾生になった。奨励会4級頃の写真か。中野にあった将棋連盟の廊下にて

星田六段と東西決戦

当時の奨励会員は貧しく、生活も大変だった。こういうことがありました。

正月というのに、どこも行くところがない。三が日に連盟に集まるんです。

「皇居に行って時間をつぶすか」と誰かが言う。皆でゾロゾロ歩き出す。二十人はいた。所持金は電車賃だけです。

アルバイトで屋台を引く者、血を売る者、山手線の十円切符を買い電車のなかで寝る者……。苦労をして将棋の修業をした時代です。身体を悪くした人もいたと思います。その点、私は塾生だったので、環境的には恵まれていた。ありがたかったですね。

塾生の仕事のひとつに、新聞の観戦記の切り抜きがある。十紙ほど切り、それをスクラップブックに挟んで段ボールに入れる。この作業は、ずいぶんやった。四苦八苦して切り抜いた記憶があります。

ある時、加藤博二九段に切り抜きはどうなったか尋ねたことがあるが、「ない」と言っていた。これには、がっかりした。昭和五十年頃の話です。

奨励会は芹沢博文さん(九段)が目標でした。この人は強くて、全然歯が立たない。何とか負かしたいと思った。芹沢さんには、真剣でよく教わった。お金がないのに五十円くらい賭けた。記録料が二百五十円か三百円の時代です。

三段の時、塾生をやめ、下宿生活を始めた。お金がないので工藤浩平さん(六段)と一緒に住んだ。中野の将棋連盟の近く。四畳半の部屋です。そこには二年くらい住んだが、火事で焼けたのを機に独立した。

升田先生も当時、中野に住んでいた。

ある時、「佐伯、わしは弟子を取ったぞ。強そうでな」と言われた。それが桐山清澄さん(九段)だった。升田先生の奥さまが奈良の人で、その縁で頼まれて弟子にした、と聞いた。

後日、「夜になると泣く。かわいそうなので奈良へ帰した」と言う。「大阪の増田敏二さん(六段)に頼んだ」と話していた。若き日の桐山さんのエピソードです。

四段には昭和三十四年になった。当時、奨励会の予備クラスからC級二組に上がれるのは年に二人だけ。一番厳しい時だった。前期と後期に分け、東西決戦で昇級者を決めていた。

私は関東で九勝三敗。相手の星田啓三六段(八段)は関西で十勝二敗で優勝。東西決戦を戦った。星田さんは順位棋士でしたが、降級して予備クラスで指していました。阪田三吉名人・王将の直弟子。温厚で、とてもいい人でした。

私は大阪の関西本部に行きました。阿倍野区北畠にあった旧本部です。なかに入ると、みんなにいやな顔をされた。当時は東西の対抗意識があった。関西の人は当然、星田さんを応援する訳です。その将棋を、まずまずの出来で勝った。終盤はきわどく、幸運な勝ちでした。

その3に続く)
 

【アーカイブ】相撲はかなり本気でした その1

2016.04.01 Friday
 

『将棋世界』2004年3月号より

時代を語る・昭和将棋紀行

第8回 佐伯昌優八段
『相撲はかなり本気でした』


[聞き書き]木屋太二
[撮影]本誌



はじめに

佐伯昌優八段は“クロガネ”と呼ばれた坂口允彦九段の門下である。クロガネは鉄。相手は攻めても攻めても跳ね返される。それほど坂口九段は受けが強かった。佐伯八段にも師匠に似た受けの強さがある。二枚腰、三枚腰だ。少年時代、本気で相撲の力士になることを考えた。六十キロの米俵を軽々と持ち上げてしまう怪力少年だった。それが将棋に影響しているのかもしれない。

塚田正夫名誉十段は坂口九段の兄弟弟子である。生前、お二人は大変仲が良かった。塚田先生が、「酒を飲みたい」と言うと、坂口先生は決まって、「ああ、いいよ」と返事をする。待ち合わせ場所は横浜の東横線白楽駅前の居酒屋。佐伯八段は、何度も同席したと言う。店には塚田先生の実戦型詰将棋の色紙が飾られていた。坂口門下だった私も拝見した。その店は、もうない。

木屋太二


少年時代の師匠

“ふたりっ子”というテレビドラマがありました。双子の姉妹の一人が将棋のプロ棋士を目指す話です。そこに佐伯銀蔵という真剣師が登場します。劇中では、“銀じい”と呼ばれていました。

この“銀じい”のモデルは大田学さん(朝日アマ名人)です。大田さんは“放浪の真剣師”とか“最後の真剣師”と言われ、その筋では有名な存在。九十歳になったいまは、大阪の通天閣の道場で将棋を教えている、と聞いています。

その大田さんは鳥取県の出身で、しょっちゅうわが家に来ていた。私の家は鳥取県の東伯郡赤碕村というところにあり、十七、八代続いた旧家です。赤碕村は現在、町になっています。

土地は広く、屋敷は大きい。私はそこで昭和十一年八月四日に生まれた。父は佐伯康治(こうじ)、母は松代(まつよ)。両親の間には男五人、女二人の子どもがあり、私は上から三番目の三男です。

父はそれほど将棋好きという訳ではなかったが、京阪神から来る賭将棋専門の真剣師たちを、よく家に泊めていた。

「鳥取の佐伯のところに行けば面倒をみてくれる」

そういう話が、口伝えで広がったらしい。年中、誰かが来ては将棋を指していた。大田さんも、そのなかにいた。

大田さんの好敵手は岩本さん。近所の床屋さんだが、この人がすごい人で床屋の日本一に何回もなっている。全国のコンクールがあり、そのために県の予選を行う。将棋のアマチュア名人戦のようなものです。赤碕村の人口は当時四、五千人。現在は八千人ほどですが、その頃予選をやっても岩本さんにかなう者はいない。まるで大山康晴先生(十五世名人)のような人でした。

岩本さんは将棋が強かった。若い頃、大阪に床屋の修業に行った。小遣いがたまるとプロ棋士に教わった。若き日の大山先生、升田幸三先生(実力制第四代名人)に指してもらった、と言うから筋金入りです。

大田さんと岩本さんが指す時は駒落だった。大田さんの上手で香香角なら大田さん有利、角角香なら岩本さん有利。お二人は、そういう手合でした。勝負には、お金を賭けていた。真剣です。

すごいのは体力だ。大田さんは海軍に行っていたので徹夜は平気。普通の人は二日も寝ないと将棋がよれるが、大田さんは一週間くらい何でもない。だから、たいていの人は将棋よりも体力で負かされる。

一方、岩本さんも丈夫。体力には自信を持っている。という訳で、二人は延々と何番も指していました。私は当時、小学校の低学年で、夜寝て朝、学校に行く。その繰り返しの毎日でしたが、朝でも夜でも、ずっと二人は盤に向かっていた。ぶっ続けで一週間はやっている。本当に、すごかったですね。

この床屋の岩本さんが、少年時代の私の師匠です。「将棋をやるんなら基本から教えてやる」と言われ、六枚落から教わった。無茶苦茶に厳しい人で、板の間に三時間も四時間も座らせる。当然、足が痛くなるが、「そのくらいでへこたれるようじゃ強くならん」としかられる。だから、五時間でも六時間でも座っていた。そういう人がいたおかげで、多少なりとも強くなれたと思っています。

坂口門下となる

入門する頃の話をしましょう。私の家は農家でウサギやカモなど、動物をたくさん飼っていた。私は牛馬の世話をするのがいやで東京に行きたかった。理由は何でもいい。とにかく東京へ出て何かをやりたかった。相撲の力士、競輪の選手、将棋の棋士、そのどれかになりたいと思っていた。

相撲は、かなり本気だった。米俵は一俵六十キロある。それを私は、小学校の頃から持ち上げていた。六つ上の兄は、よう持ち上げない。そのくらい力があった。子どもの相撲大会にも出ていました。

これは、のちに奨励会に入ってからの話ですが、幹事の京須行男七段(八段)に、「相撲をとろう」と言われ、やったことがある。京須先生は軍隊で鍛えた身体です。しかし、私は負けなかった。先生の足を怪我させて悪いことをしました。

昭和二十七年、米子に松田茂行八段(九段)が来た。松田先生は鳥取市の出身。A級八段に昇ったので、その祝賀将棋大会を開いたのです。

私は、それに出場した。中学三年、十五歳の時です。席上、松田八段に二枚落を指してもらったが、勝てませんでした。この将棋は日本海新聞に出ました。棋譜も残っています。松田先生に、「中学を卒業したら東京へおいで」と言われた。そのひとことで東京へ行くことと、将棋のプロ修業することを決心しました。

卒業して上京。松田門下になるつもりで家を訪ねたが、先生のところはごたごたしていて、結局、弟子にはなれなかった。戦後七年目で東京も生活が大変。食料事情も厳しい時代です。

しかたがないので中島富治さんを頼って行った。中島さんは財界の相当な人で、将棋界では名人戦を創ったことで知られています。当時の棋士は、ずいぶんお世話になったようですが、なぜか木村義雄十四世名人とはうまくいかなかった。

中島さんは花田長太郎八段(九段)が好きで花田一門を応援していた。そういうこともあり私が相談すると、「それじゃあ坂口允彦八段(九段)の弟子になれ」と言う。坂口八段は花田一門です。中島さんは、その場で電話をかけた。

「頼むよ」

「わかりました」

そうしたやりとりがお二人の間であり、坂口八段は私に、「横浜に来なさい」と言ってくれた。これで坂口門下になることが決まりました。

昭和二十七年五月二十日。これは私が内弟子になった日です。前年、坂口先生はA級八段で、順位は四位だった。その頃、産経杯戦で優勝。三年ほど前にチェスから将棋に復帰したと聞いた。横浜は私にとって、初めての土地でした。

坂口先生のお宅には、奥様のご両親が一緒に住んでいた。伊藤さんといって、父親は新宿の駅長をした国鉄マンです。この人が時間に正確で毎日、朝の六時に出勤する。判で押したようにです。

家族は見送らなくてはいけない。私は対局の記録係で、夜遅く帰ってくる。寝たと思ったら起こされる。「また寝てもいいから一回起きなさい」と言われた。若い頃は、いくらでも眠りたい。これは、つらかったですね。

坂口先生の家は横浜市の神奈川区にある。神奈川大学のそば。最寄り駅は東横線の白楽です。近所に小堀清一八段(九段)門下の河口俊彦さん(七段)が住んでいた。河口さんの兄弟子の津村常吉四段(七段)が横浜の日の出町で将棋クラブを開いていた。そこへ河口さんと行き、よく指した。あとは棋譜並べが、おもな勉強方法でした。

その2に続く)
 

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サロンの概要

受講者随時募集

女性・初級者歓迎
見学もお気軽に


師範
佐伯昌優(さえき・よしまさ)九段
指導員 遠藤三郎アマ六段

会場
フジサワ名店ビル 7階Bホール
JR・小田急藤沢駅南口2分

日時
第2・第4木曜日 13時〜17時

料金
入会金 2,000円
月謝 3,000円

対象
一般(年齢・性別・棋力は問いません。実力に応じて指導します)

内容
大盤で解説/指導対局もいたします/自由対局

備考
現在、30〜80歳代の男女半々の20数名の方々が、初心者〜有段者まで、棋力に合った楽しみ方をしています。(サロンの様子はこちら

お問い合わせ
E-mail s9ss@hotmail.co.jp
TEL 0466-82-9317

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