【アーカイブ】相撲はかなり本気でした その2

2016.04.02 Saturday
 

(その1はこちら

塾生の頃

内弟子に入って一年が過ぎた。その頃、坂口先生が将棋連盟の会長になった。昭和二十八年のことです。連盟に塾生の空きができた。北村昌男さん(九段)が四段になり卒業したのです。

「佐伯、塾生になれ」と、坂口先生に言われました。先生も会長となり何かと忙しい。それで横浜から東京へ引っ越した。中野の将棋連盟、ここは元、相撲の照国道場だったところです。

話は前後するが、奨励会には五級で入った。試験官は清水孝晏二級、河口俊彦五級、剱持松二四級(八段)で●○●の一勝二敗。一級で受けたのだが幹事の京須先生が厳しく、五級で入会することになった。

その頃のことでは北山和夫さんが一番思い出がある。北山さんは京須門下で当時三級だった。

将棋連盟に行くのに手ぶらじゃ困る。それで近くの八百屋に寄った。ついでに場所を尋ねると、「うちの息子も奨励会に入っている」と言う。それが北山さんでした。仲も良かった。

塾生になった時は四級。三段まで六年いた。指した将棋は全部ノートに書いた。題して“奨励会棋譜帳”。昭和二十七年六月十九日からつけた。これは、いまも手元にあります。

二、三か月後、長谷部久雄さん(九段)が塾生となり、三畳の部屋で共同生活が始まった。長谷部さんは一級で年齢は私より三つ上。三、四年は一緒に暮らしました。

その長谷部さんは四段になって塾生をやめた。代わりに入ってきたのが山口英夫さん(七段)です。彼は広島の出身で、松浦卓造八段の紹介で原田泰夫八段(九段)の門下になった。山口さんとは三年間一緒でした。

塾生時代は長かったので、いろいろ話があります。床を敷いたりあげたりは当然。「お茶持ってこい」は年中です。すごい先生になると夜中に、「酒買ってこい」と言う。

「先生、いま何時だと思ってるんですか」

「いいから起こして買ってこい」

こんなふうに、よく喧嘩をした。コンビニなんかない時代です。

升田先生には、ずいぶん怒られた。「お前は誰の弟子だ。この馬鹿野郎」なんてね。

でも、喧嘩をする人ほど仲が良くなる。観戦記者の天狗太郎さん(山本亨介)にも、「佐伯、生意気だぞ」ってよく叱られたけど、かわいがってもらった。私の生まれた鳥取県の町は勝負事の好きなところで、横綱になった相撲の琴桜や、江川事件で巨人から阪神に移ったプロ野球の小林繁が出た。そのせいか、強気だけは一人前でした(笑)。

当時の連盟には、留守居役として奥野基芳六段(八段)が住み込んでいた。奥野先生も、いろんな棋士がいて、大変だったと思います。

私か塾生だった頃は、三百六十五日棋士が麻雀をやっていた。当時は対局の持ち時間が長く、八時間や九時間はざらだった。それで、どうしても徹夜になる。ところが宿泊用の布団は二、三組しかない。早い者勝ちです。先輩も後輩も関係ありません。

寝たくても床がない。起きているよりしょうがない。酒を飲むか麻雀を打つか碁を打つか、大体そんなところです。大山先生、坂口先生、大和久彪先生(八段)……。ほとんどの人は麻雀をやっていた。升田先生は碁、松田先生は酒でした。

ある時、部屋のなかが煙草の煙でもうもうとしている。気をきかして窓を開けて空気を入れ替えたら、「寒いじゃないか、閉めろ」と怒られた。暮れも元日もない。朝も昼もないんです。そういうことがあったから、私は麻雀も囲碁も覚えなかった。反発したんです。大山先生は麻雀ができない者には記録を取らせないという主義でした。記録係もメンバーのひとりに数えていた。だから麻雀をやらない私は、大山先生の記録を取っていません。


▲内弟子に入って1年後、16歳(昭和28年)のとき塾生になった。奨励会4級頃の写真か。中野にあった将棋連盟の廊下にて

星田六段と東西決戦

当時の奨励会員は貧しく、生活も大変だった。こういうことがありました。

正月というのに、どこも行くところがない。三が日に連盟に集まるんです。

「皇居に行って時間をつぶすか」と誰かが言う。皆でゾロゾロ歩き出す。二十人はいた。所持金は電車賃だけです。

アルバイトで屋台を引く者、血を売る者、山手線の十円切符を買い電車のなかで寝る者……。苦労をして将棋の修業をした時代です。身体を悪くした人もいたと思います。その点、私は塾生だったので、環境的には恵まれていた。ありがたかったですね。

塾生の仕事のひとつに、新聞の観戦記の切り抜きがある。十紙ほど切り、それをスクラップブックに挟んで段ボールに入れる。この作業は、ずいぶんやった。四苦八苦して切り抜いた記憶があります。

ある時、加藤博二九段に切り抜きはどうなったか尋ねたことがあるが、「ない」と言っていた。これには、がっかりした。昭和五十年頃の話です。

奨励会は芹沢博文さん(九段)が目標でした。この人は強くて、全然歯が立たない。何とか負かしたいと思った。芹沢さんには、真剣でよく教わった。お金がないのに五十円くらい賭けた。記録料が二百五十円か三百円の時代です。

三段の時、塾生をやめ、下宿生活を始めた。お金がないので工藤浩平さん(六段)と一緒に住んだ。中野の将棋連盟の近く。四畳半の部屋です。そこには二年くらい住んだが、火事で焼けたのを機に独立した。

升田先生も当時、中野に住んでいた。

ある時、「佐伯、わしは弟子を取ったぞ。強そうでな」と言われた。それが桐山清澄さん(九段)だった。升田先生の奥さまが奈良の人で、その縁で頼まれて弟子にした、と聞いた。

後日、「夜になると泣く。かわいそうなので奈良へ帰した」と言う。「大阪の増田敏二さん(六段)に頼んだ」と話していた。若き日の桐山さんのエピソードです。

四段には昭和三十四年になった。当時、奨励会の予備クラスからC級二組に上がれるのは年に二人だけ。一番厳しい時だった。前期と後期に分け、東西決戦で昇級者を決めていた。

私は関東で九勝三敗。相手の星田啓三六段(八段)は関西で十勝二敗で優勝。東西決戦を戦った。星田さんは順位棋士でしたが、降級して予備クラスで指していました。阪田三吉名人・王将の直弟子。温厚で、とてもいい人でした。

私は大阪の関西本部に行きました。阿倍野区北畠にあった旧本部です。なかに入ると、みんなにいやな顔をされた。当時は東西の対抗意識があった。関西の人は当然、星田さんを応援する訳です。その将棋を、まずまずの出来で勝った。終盤はきわどく、幸運な勝ちでした。

その3に続く)
 

【アーカイブ】相撲はかなり本気でした その1

2016.04.01 Friday
 

『将棋世界』2004年3月号より

時代を語る・昭和将棋紀行

第8回 佐伯昌優八段
『相撲はかなり本気でした』


[聞き書き]木屋太二
[撮影]本誌



はじめに

佐伯昌優八段は“クロガネ”と呼ばれた坂口允彦九段の門下である。クロガネは鉄。相手は攻めても攻めても跳ね返される。それほど坂口九段は受けが強かった。佐伯八段にも師匠に似た受けの強さがある。二枚腰、三枚腰だ。少年時代、本気で相撲の力士になることを考えた。六十キロの米俵を軽々と持ち上げてしまう怪力少年だった。それが将棋に影響しているのかもしれない。

塚田正夫名誉十段は坂口九段の兄弟弟子である。生前、お二人は大変仲が良かった。塚田先生が、「酒を飲みたい」と言うと、坂口先生は決まって、「ああ、いいよ」と返事をする。待ち合わせ場所は横浜の東横線白楽駅前の居酒屋。佐伯八段は、何度も同席したと言う。店には塚田先生の実戦型詰将棋の色紙が飾られていた。坂口門下だった私も拝見した。その店は、もうない。

木屋太二


少年時代の師匠

“ふたりっ子”というテレビドラマがありました。双子の姉妹の一人が将棋のプロ棋士を目指す話です。そこに佐伯銀蔵という真剣師が登場します。劇中では、“銀じい”と呼ばれていました。

この“銀じい”のモデルは大田学さん(朝日アマ名人)です。大田さんは“放浪の真剣師”とか“最後の真剣師”と言われ、その筋では有名な存在。九十歳になったいまは、大阪の通天閣の道場で将棋を教えている、と聞いています。

その大田さんは鳥取県の出身で、しょっちゅうわが家に来ていた。私の家は鳥取県の東伯郡赤碕村というところにあり、十七、八代続いた旧家です。赤碕村は現在、町になっています。

土地は広く、屋敷は大きい。私はそこで昭和十一年八月四日に生まれた。父は佐伯康治(こうじ)、母は松代(まつよ)。両親の間には男五人、女二人の子どもがあり、私は上から三番目の三男です。

父はそれほど将棋好きという訳ではなかったが、京阪神から来る賭将棋専門の真剣師たちを、よく家に泊めていた。

「鳥取の佐伯のところに行けば面倒をみてくれる」

そういう話が、口伝えで広がったらしい。年中、誰かが来ては将棋を指していた。大田さんも、そのなかにいた。

大田さんの好敵手は岩本さん。近所の床屋さんだが、この人がすごい人で床屋の日本一に何回もなっている。全国のコンクールがあり、そのために県の予選を行う。将棋のアマチュア名人戦のようなものです。赤碕村の人口は当時四、五千人。現在は八千人ほどですが、その頃予選をやっても岩本さんにかなう者はいない。まるで大山康晴先生(十五世名人)のような人でした。

岩本さんは将棋が強かった。若い頃、大阪に床屋の修業に行った。小遣いがたまるとプロ棋士に教わった。若き日の大山先生、升田幸三先生(実力制第四代名人)に指してもらった、と言うから筋金入りです。

大田さんと岩本さんが指す時は駒落だった。大田さんの上手で香香角なら大田さん有利、角角香なら岩本さん有利。お二人は、そういう手合でした。勝負には、お金を賭けていた。真剣です。

すごいのは体力だ。大田さんは海軍に行っていたので徹夜は平気。普通の人は二日も寝ないと将棋がよれるが、大田さんは一週間くらい何でもない。だから、たいていの人は将棋よりも体力で負かされる。

一方、岩本さんも丈夫。体力には自信を持っている。という訳で、二人は延々と何番も指していました。私は当時、小学校の低学年で、夜寝て朝、学校に行く。その繰り返しの毎日でしたが、朝でも夜でも、ずっと二人は盤に向かっていた。ぶっ続けで一週間はやっている。本当に、すごかったですね。

この床屋の岩本さんが、少年時代の私の師匠です。「将棋をやるんなら基本から教えてやる」と言われ、六枚落から教わった。無茶苦茶に厳しい人で、板の間に三時間も四時間も座らせる。当然、足が痛くなるが、「そのくらいでへこたれるようじゃ強くならん」としかられる。だから、五時間でも六時間でも座っていた。そういう人がいたおかげで、多少なりとも強くなれたと思っています。

坂口門下となる

入門する頃の話をしましょう。私の家は農家でウサギやカモなど、動物をたくさん飼っていた。私は牛馬の世話をするのがいやで東京に行きたかった。理由は何でもいい。とにかく東京へ出て何かをやりたかった。相撲の力士、競輪の選手、将棋の棋士、そのどれかになりたいと思っていた。

相撲は、かなり本気だった。米俵は一俵六十キロある。それを私は、小学校の頃から持ち上げていた。六つ上の兄は、よう持ち上げない。そのくらい力があった。子どもの相撲大会にも出ていました。

これは、のちに奨励会に入ってからの話ですが、幹事の京須行男七段(八段)に、「相撲をとろう」と言われ、やったことがある。京須先生は軍隊で鍛えた身体です。しかし、私は負けなかった。先生の足を怪我させて悪いことをしました。

昭和二十七年、米子に松田茂行八段(九段)が来た。松田先生は鳥取市の出身。A級八段に昇ったので、その祝賀将棋大会を開いたのです。

私は、それに出場した。中学三年、十五歳の時です。席上、松田八段に二枚落を指してもらったが、勝てませんでした。この将棋は日本海新聞に出ました。棋譜も残っています。松田先生に、「中学を卒業したら東京へおいで」と言われた。そのひとことで東京へ行くことと、将棋のプロ修業することを決心しました。

卒業して上京。松田門下になるつもりで家を訪ねたが、先生のところはごたごたしていて、結局、弟子にはなれなかった。戦後七年目で東京も生活が大変。食料事情も厳しい時代です。

しかたがないので中島富治さんを頼って行った。中島さんは財界の相当な人で、将棋界では名人戦を創ったことで知られています。当時の棋士は、ずいぶんお世話になったようですが、なぜか木村義雄十四世名人とはうまくいかなかった。

中島さんは花田長太郎八段(九段)が好きで花田一門を応援していた。そういうこともあり私が相談すると、「それじゃあ坂口允彦八段(九段)の弟子になれ」と言う。坂口八段は花田一門です。中島さんは、その場で電話をかけた。

「頼むよ」

「わかりました」

そうしたやりとりがお二人の間であり、坂口八段は私に、「横浜に来なさい」と言ってくれた。これで坂口門下になることが決まりました。

昭和二十七年五月二十日。これは私が内弟子になった日です。前年、坂口先生はA級八段で、順位は四位だった。その頃、産経杯戦で優勝。三年ほど前にチェスから将棋に復帰したと聞いた。横浜は私にとって、初めての土地でした。

坂口先生のお宅には、奥様のご両親が一緒に住んでいた。伊藤さんといって、父親は新宿の駅長をした国鉄マンです。この人が時間に正確で毎日、朝の六時に出勤する。判で押したようにです。

家族は見送らなくてはいけない。私は対局の記録係で、夜遅く帰ってくる。寝たと思ったら起こされる。「また寝てもいいから一回起きなさい」と言われた。若い頃は、いくらでも眠りたい。これは、つらかったですね。

坂口先生の家は横浜市の神奈川区にある。神奈川大学のそば。最寄り駅は東横線の白楽です。近所に小堀清一八段(九段)門下の河口俊彦さん(七段)が住んでいた。河口さんの兄弟子の津村常吉四段(七段)が横浜の日の出町で将棋クラブを開いていた。そこへ河口さんと行き、よく指した。あとは棋譜並べが、おもな勉強方法でした。

その2に続く)
 

年賀詰2016 解説Part2

2016.01.08 Friday
 

(解説Part1はこちら

昨年を上回る14局が揃いました。ご参加いただいた皆さま、解説に協力して下さった玉子王子さんに心よりお礼申し上げます。

本企画はあくまでも年始の挨拶であり、創作の巧拙を競うものではありません。どうか温かな眼差しでご鑑賞いただければ幸いです。(ピリ辛流)

OHSHOU


▲1三角成△同 桂 ▲2一角 △2二玉 ▲3三桂成△同 玉
▲3一飛成△2四玉 ▲3五竜まで9手詰

妙手▲3三桂成

初手▲1三桂成は△同桂で不詰。▲1三角成〜▲2一角と迫ります。

4手目△1一玉は▲4三角成以下早詰。△2二玉に▲3三桂成が絶妙の好手で、△同玉(*)に▲3一飛成以下ぴたりと収束します。実戦でこうした順で詰ますことができたら、さぞかし気分がいいでしょうね。

(*)△1一玉も▲3二角成(または▲4三角成)以下同手数の詰み。

千成ひょうたん


▲7四角成△6三金合▲5三銀 △6一玉 ▲6二銀成△同 金
▲5一飛成△同 玉 ▲4一飛まで9手詰

守備駒を逆用

2手目△4二玉は▲5一飛成△3二玉▲4一馬以下同手数駒余り。6三への合駒は金以外だと▲5三銀〜▲6二銀成があります。

よって△6三金合としますが、それでも▲5三銀〜▲6二銀成と迫り、召し取った飛車で詰め上げます。

序で発生させる合駒、それらの守備駒を逆用して仕留める。とても野心的なテーマに感銘を覚えました。

ハナ&ナツ


▲2三銀 △同 飛 ▲2一銀 △同 飛 ▲3二飛成△2二銀
▲2三銀 △1三玉 ▲1四銀成△1二玉 ▲2三成銀まで11手詰

銀の舞

初手▲3二飛成は△2二銀で不詰。▲2三銀〜▲2一銀が、飛車を翻弄しつつ下段に落とす一連の好手です。

待望の▲3二飛成に△2二銀の移動合で抵抗しますが、▲2三銀〜▲1四銀成〜▲2三成銀と、銀のステップで詰め上がりとなります。

攻方は5手目以外はすべて銀の着手。△2二銀ともども「銀の舞」とも言うべき一局でした。

龍女


▲2四桂 △2一玉 ▲1二銀 △同 金 ▲3二金 △同 角
▲1二桂成△同 玉 ▲1三金 △2一玉 ▲3三桂不成まで11手詰

吊るし桂

詰将棋らしくリズミカルな手順。収束も吊るし桂で心地よく詰め上がります。4手目△同角は▲1三桂不成△同金▲3二金まで。

玉方4二歩は余詰消しの駒。3手目▲3二銀は△同金▲同桂成△同玉▲3三金△4一玉で逃れています。

玉方4二歩に代えて3四角を置く案もありそうです。(その場合、詰手順は少し異なります。お調べを)

遠藤三郎


▲2二金 △同 玉 ▲3一銀 △同 玉 ▲4一金 △3二玉
▲4四桂 △同 歩 ▲4二金 △同 玉 ▲4三銀打△5三玉
▲6三金まで13手詰

穴熊×小駒図式

穴熊玉を小駒で攻略。見るからに金銀のやりくりに悩まされそうです。

攻方5一金の活用が本局最大のポイント。一つには▲2二金〜▲3一銀の順に捨て、5手目▲4一金と活用する。二つには▲4四桂と打ち捨ててから9手目▲4二金とさらに活用する。△同玉(*)以下中空にて詰め上がりとなります。

(*)△2二玉も▲3一銀(または▲3二金)以下同手数の詰み。

A. K.


▲1四桂 △3二玉 ▲4三桂成△同 玉 ▲5三飛成△3二玉
▲2二桂成△同 玉 ▲2四香 △1一玉 ▲3三角成△同 桂
▲5一竜まで13手詰

鮮やかな収束

初手▲3四桂は手が続くものの不詰。正しくは▲1四桂でした。

この桂を7手目▲2二桂成と成り捨てるのが鮮やかな収束の始まり。以下▲2四香と打ち換え、△1一玉に▲3三角成が豪快な決め手。△同桂に▲5一竜まで合駒効かずの詰みとなります。

9手目▲2四香は2五以遠も可。10手目△3二玉は▲2三香成△4一玉▲5一竜まで。こちらも正解です。

ピリ辛流


▲2三桂 △同 馬 ▲1二歩 △同 馬 ▲同 と △同 玉
▲2一角 △1一玉 ▲2二竜 △同 玉 ▲3二馬 △1一玉
▲2三桂 △同 竜 ▲1二歩 △同 竜 ▲同角成 △同 玉
▲2二飛 △1三玉 ▲2三飛成まで21手詰

初形「16」

初手▲1二歩は打歩詰。ほどなく▲2三桂〜▲1二歩が浮かぶでしょう。

8手目△1三玉は▲5三竜△1四玉▲1三竜△同玉▲1五飛△1四合▲2五桂以下早詰。△1一玉に▲2二竜が英断の継続手です。

12手目△1三玉は▲2五桂まで。△1一玉で再び打歩詰の局面に。ここでも▲2三桂がありました。収束は清涼詰。きれいにさばけました。

(作者の敬称は略しました)
 

年賀詰2016 解説Part1

2016.01.07 Thursday
 

新年明けましておめでとうございます。

当ブログの年始企画である年賀詰の前編です。指し初め前のウォーミングアップに如何でしょうか。本年も宜しくお願い申し上げます。(玉子王子)

玉子王子


▲3一角成△2三玉 ▲1二飛成△同 玉 ▲2二馬まで5手詰

玉は下段に落とせ

5二の飛車が当たっているので、初手は▲3一角成と両王手する一手。

対して△同玉は▲2二飛成まで、△3三玉は▲2二馬までの早詰なので△2三玉ですが、3手目▲1二飛成が詰将棋らしい玉を下段に落とす手筋で、以下△同玉▲2二馬で詰み上がります。

なお、3手目▲4一馬と金を取るのは△3三玉で不詰。

あつしくん


▲2六角 △同 玉 ▲1七金 △1五玉 ▲2七金まで5手詰

開き王手詰

年賀詰にふさわしい七色図式。初手▲3五角や▲5三角成などの開き王手は、△1六歩と合駒されて詰みません。また、初手▲1六金は、△同玉なら▲5三角成以下詰みですが、△1四玉と引かれると詰みません。

そこで初手▲2六角の両王手で玉を吊り出し、▲1七金と打ち換えるのが面白い手順で、最後は打ち換えた金を寄った開き王手で詰み上がります。

ななころび


▲2四桂 △1一玉 ▲2一金 △同 玉▲3三桂不成△3一玉
▲2一金まで7手詰

桂の包囲網

桂の特性を生かして、玉を包むように詰めるのが本作のテーマです。

まず初手▲2四桂で△1一玉(△2一玉は▲3三桂不成以下駒余りで早詰)と追い、▲2一金と捨てて玉を2一に呼んでから、▲3三桂不成と二枚の桂で玉の包囲網を絞っていきます。

最後は再度の▲2一金で収束。金打ちのリフレインが印象的でした。

チビワン


▲3二桂成△同 玉 ▲3一金 △同 銀 ▲4三銀 △4一玉
▲5二金まで7手詰

実戦型

矢倉囲いの実戦型詰将棋。初手▲3二桂成△同玉までは必然ですが、3手目▲4三銀は△同銀で5三角の利きが3一まで通って詰みません。

そこで角の利きを通す前に3手目▲3一金と捨て、△同銀と守りの銀を引かせます。以下は▲4三銀△4一玉▲5二金で詰み上がります(6手目△4一玉に代えて△2二玉も▲2三金までの詰み)。

うさこ


▲7四桂 △同 銀 ▲6二竜 △8一玉 ▲7二銀 △9二玉
▲8三銀引成△8一玉▲7二竜まで9手詰

一間竜の作り方

初手▲7一銀は△9二玉▲7二竜△8二歩合で詰みません。

7三の銀の守備力を弱め、かつ一間竜の形をどのように作るかが本作を解く鍵ですが、初手▲7四桂△同銀と捨てることで▲6二竜を実現させます。2手目△9二玉は▲8一銀まで。

▲6二竜△8一玉(△7二合は▲7三銀打以下駒余り)▲7二銀△9二玉に、▲8三銀引成の両王手が最後の決め手です。

ノラネコ


▲3一飛 △2三玉 ▲2二桂成△同 玉 ▲3三銀 △1三玉
▲1一飛成△2三玉 ▲2四金まで9手詰

要駒の打ち換え

初手は上部脱出を防ぐ▲3一飛で、△2三玉(△3一同玉は▲2二金まで)に3手目▲2二桂成が軽妙な成り捨て。

対して△1三玉は▲3三飛成以下、△1四玉は▲3四飛成以下、△2四玉は▲3五金以下駒余りで詰むので△2二同玉としますが、▲3三銀と攻めの要駒を桂から打ち換えて収束に入ります。

6手目△2三玉は▲2四金で、△3一玉は▲2二金で早詰。8手目△1二合は▲2四金で詰み。

敗者


▲2五桂 △同 歩 ▲3一角 △2三玉 ▲2四飛 △同 竜
▲2二角引成△3四玉▲4四角成まで9手詰

大駒の連携

初手▲3一角は△2三玉から上部に逃げられるので一工夫必要ですが、▲2五桂が巧い捨て駒。対して△2三玉と逃げるのは▲4五角が退路封鎖の好手で、以下△同竜▲2二飛△3四玉▲2四飛成△4三玉▲4二角成の同手数駒余りで詰み。

よって△2五同歩としますが、▲3一角△2三玉に▲2四飛と先に空けた所に捨てるのが最後の決め手で、△2四同竜と竜を移動させてから▲2二角引成〜▲4四角成で詰み上がります。

なお、6手目△2四同竜に代えて△3三玉は▲4二角成で早詰。変化手順を含めて大駒同士の連携が見事な作品です。

(作者の敬称は略しました)
 

年賀詰2016 Part2

2016.01.01 Friday
 

(Part1はこちら

OHSHOU(9手詰)


千成ひょうたん(9手詰)


ハナ&ナツ(11手詰)


龍女(11手詰)


「詰将棋、解くはむずかし、作るはたのし。今年もガンバリます」

遠藤三郎(13手詰)


「時節柄、裸の王様には気を付けて!」

A. K.(13手詰)


「今年は得意戦法をマスターして勝率を上げたいです」

ピリ辛流(21手詰)


「HAPPY NEW YEAR 2016! 秋には佐伯先生の盤寿のお祝いを」

(作意手順を1/8に掲載します)
 

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サロンの概要

受講者随時募集

女性・初級者歓迎
見学もお気軽に


師範
佐伯昌優(さえき・よしまさ)九段

会場
フジサワ名店ビル 7階Bホール
JR・小田急藤沢駅南口2分

日時
第2・第4木曜日 13時〜17時

料金
入会金 2,000円
月謝 3,000円

対象
一般(年齢・性別・棋力は問いません。実力に応じて指導します)

内容
大盤で解説/指導対局もいたします/自由対局

備考
現在、30〜80歳代の男女半々の20数名の方々が、初心者〜有段者まで、棋力に合った楽しみ方をしています。(サロンの様子はこちら

お問い合わせ
E-mail s9ss@hotmail.co.jp
TEL 0466-82-9317

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